明治32(1899)年3月14日、医学士松葉眞一は、廣島縣より、廣島病院医員の辞令を受けました。
月給である待遇は、月棒17円でした。インターネットで調べてみると、当時の月棒の事例が見つかりました。野口英世博士と山梨県の尋常高等小学校訓導兼校長先生です。
野口英世博士の、伝染病研究所見習助手(明治31年)としての月俸は12円で、後から13円、15円に少しずつ昇給していっています。当時、野口英世博士は22歳の大卒初任給のようでした。
山梨県の尋常高等小学校訓導兼校長先生の、明治32年の月棒は、16円でした。

